嗤うSchizophrenia

いつか君の感情を揺さぶる事が出来たならば

この世界とは何なのか。

この世界とは、厳然とした客観事実に基づいているのではなく、我々一人一人の想像上の産物ではないのか。

 

 

つまり、世界とは我々が認知することで形成され、それは、表象として我々一人一人の差異が世界の差異そのものであり、そのこと自体が世界の健全な摂理になっているのではないだろうか。

しかしながら、本質として世界とは差異を超越して、あるいは包摂しながらも、その本質は同体であるのではないか。

つまりそれは、我々が本質的には差異を抱えながらも同じ根幹を成す存在である、ということだ。

 

私は、私という事象を持っている。それと同じく、貴方は、貴方という事象を持っている。その事象とは世界そのものであり、私たちの差異を決定付けるものである。しかし、それと同時に、私たちは同じ根幹を成す者同士である。それこそが世界の本質である。

 

差異と同体、二つの相容れない事象は、実はこの世界を通してその二つが同質のものである、ということを我々一人一人の想像を通して訴えているのではないか。

 

この世界の摂理とは、我々一人一人がその身心を通して、各々が体感すべきもので、それは、この世界とは“我々一人一人が“形作るもの”なのではないだろうか。

その意味するところは、この世界の構成員である我々は、この世界に対するあらゆる事象の恩恵と責任を負う、ということだ。

それはつまり、我々は、その人生を主体性を以て全うする責がある、ということに尽きる。

その責に於いて、我々は真に生きるということなのではないだろうか。