嗤うSchizophrenia

いつか君の感情を揺さぶる事が出来たならば

我々の頭は何のためにあるのか。

日本人の多くは「自分の頭で考える」ということを知らない、と感じる。高学歴でも、知識は豊富でも、自分の独自の思考を有している人は少ないと感じる。

いわば、一人一人がオリジナルの“ヒト”である、という意識が欠如しているのだ。

 

 

渡り鳥効果というものをご存知か?

渡り鳥は危険を察知した群れの中の一羽が飛び立つと、群れ全員がその後を付いて飛び立つ、という習性がある。

これを人間に当て嵌めると、誰かがやりだしたこと、言い出したことに皆が付いていき、ある人が「左だ!」と言えば左に行き、「右だ!」と叫べば右に行く。という群衆心理のことだ。

つまり、自身の考えや矜持でなく、影響力の強いものに盲目的に従う、ということである。

 

私は、日本人は渡り鳥に似た人たちだな、と思っている。ある種の集団ヒステリー国民、とでも言えば良いのか……。

勿論、集団ヒステリーは日本の専売特許ではない。歴史を顧みれば、それはどこにでも起こり得ることだと気付く。しかし、ヒステリーとは思考停止ということであり、集団ヒステリーとはある人物がほぼ故意で引き起こす思考停止の嵐である。

 

日本人は勤勉で真面目で働き者である。

世界で知れた日本人の特徴であろうか。しかし、裏を返せば堅物で面白味がなくプライベートを軽視する、とも言える。

そう、ヒステリーとは堅物で真面目な人間ほど起こりやすい。

 

そして、“独裁者”にとっては集団ヒステリーを如何に引き起こすか、ということが命題である、と言って良い。独裁者に盲従するヒステリー、独裁者に強硬に反発するヒステリー。

そのどちらもが、独裁者が望むものだ。

 

さて、ではどうしたら良いのか?

それは、まず一人一人がオリジナルのヒトである、という意識を持つ、つまり自意識の確立である。そして、柔軟な独立した思考を保つこと。

 

そして、今まさに日本に求められていることは、私は「放棄する」ことだと考える。

何を放棄するかと言えば、この国中を覆うヒステリックな“空気”やあるいは知らず知らずの内にやってしまっている、独裁者に対する幇助。そして、強圧的な思考。挙げれば色々とあるが、結局、独裁者を放逐するには我々の生活のふとした処から始める必要があるのだ。

 

考えよう。それが我々を救済へと導くのだから。