嗤うSchizophrenia

統合失調症持ちの考えごとブログ

パンセクシュアルかく語りき。

知っている人は知っているでしょうが、私はパンセクシュアルである。(今日は“私”の気分なので、一人称は私とする)

 

 

パンセクシュアルを日本語訳すると、全性愛者となる。バイセクシュアルと混同されやすいが、此の二つはれっきとした違いがある。

まあ、興味のある方はGoogle先生に聞いて下さい。

 

さて、此処からが本題だ。

セクシュアルマイノリティを表す時に、よく使う略語と言えば、言わずと知れた「LGBT」がある。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字だ。

勘の良い方はお気付きだろう。

パンセクシュアルは何処にも無い!

いや、パンセクシュアルだけではない。アセクシュアルやXジェンダー等々、LGBTの枠内には無い多様な性の在り方が此の世の中には存在するのだ。そんな方に対する配慮としてはLGBTs等と複数形にしたりと言った表現の仕方がある。

 

しかし、それではLGBTがセクシュアルマイノリティの代表格であるかの様な表現(言い方)は変わらない。そもそも、セクシュアリティジェンダーに、マジョリティだマイノリティだのを区分けする事自体がナンセンスだと思う。

 

もっと言えば、セクシュアル“マイノリティ”というマイノリティ経済(市場)を造り出さんが為に、セクシュアルマイノリティだのLGBTだのを持ち出して、「ほら、少数派(マイノリティ)にも配慮のある、優しい社会(国家)なんだよ」と喧伝しているに過ぎないのではないだろうか。

しかし、其処にどの程度の真実があろうか?

 

私はパンセクシュアルである。つまり、LGBTには属さない“無いものとされるセクシュアリティ”の持ち主だ。こういう話を、マイナーなセクシュアリティ(セクシュアルマイノリティの中のセクシュアルマイノリティ)と唾棄する事は容易いが、しかし、上記した様にセクシュアリティジェンダーの問題は、『マジョリティとかマイノリティとかいう区分けでは意味を成さない』のである。

 

大切なのは、「此の世に絶対的な性など存在しない」という事を個々人が自覚し、故に、セクシュアリティにしろジェンダーにしろ、多様性が担保される社会の創出を実現する事なのだろう。