嗤うSchizophrenia

統合失調症持ちの考えごとブログ

『死』と俺の物語 壱

俺は、一応、其れなり以上の知能を持っているつもりだ。

 

勿論、つもり、という話だが、頭の良い、そして風変わり――エキセントリック――な人物は、大抵"死"を幼い頃から意識するらしい。夏前に会った東大生ブロガーの高野りょーすけさんから聞いた話だ。

 

俺は、小学生の低学年の頃から『死』を意識し始めた。きっかけは、祖母の死だ。

祖母の人となりはよく覚えていないが、俺を負ぶって近所を歩く姿の写真が遺っている。孫を可愛がる、普通の老婆だったと思う。

祖母が亡くなった時、両親と俺、姉の姉弟は、父の仕事の関係で少し離れた場所で生活をしていた。祖母が危篤だと連絡を受けた両親が慌ただしく仕度をし、俺達姉弟を急き立てる様に車に詰め込んだ事を絵空事の様に見ていた記憶が在る。

 

其の後の、祖母が臨終を迎える迄の、そして荼毘に臥されてからの経緯、経過は記憶に遺ってはいないが、俺は葬式の最中に眠りこけ、顔も知らない親戚のおばさんに子守られていた様だった。祖母の死に顔すら拝めなかった俺は、祖母の安寧を想うと同時に、(人は死んだらどうなるのか?彼の世はどんな処なのだろう?)と或る意味浮わついた思索に耽った。

 

祖母が危篤に陥る前、最後に祖母に言った言葉が、「人生、色々だよね」だった。此れは今でも憶えている。

当時の流行歌だった島倉千代子の『人生いろいろ』が無意識に刷り込まれていた結果だったが、妙な可笑しさが在ったのだろう、周囲の笑いを誘った事も記憶に強い。

 

人生いろいろ。男も女も、勿論性別其の他の別無く、人生は色々。

懐かしい祖母の記憶は、もう殆ど遺ってはいないが、今俺の自室は祖母と、祖母より少し遅れて旅立っていった頑固一徹の祖父が人生最後の安住とした部屋だ。

祖父の『死』もまた俺に死を教えてくれた、有り難くも迷惑な哀しみと寂しさの物語だ。二人の冥福を祈って止まない。

 

そして、俺の短くて脆い半生の節目は、誰かの"死"が其処に在った。俺と、其の誰かの『死』。そんな話をして行こうと思う。願わくば、此の物語が貴方の何かを動かせる事を――。