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駆け擦りエロスに後追いタナトス

今日の貴方は昨日の私

日本の『お笑い』とは弄ぶ、である。

雑記

 

 

付け加えるならば、「キャラクター化」という作業もある。

キャラクター化とは、容姿や所属で「此の人はこうだ」というステレオタイプを当て嵌め、喧伝する事だ。

例えば、イケメンは心もイケメンだ、ブスは嫉妬深い、オタクはロリコンだ等である。

 

そして、キャラクター化した"キャラクター"をルーティンに載せ、セオリーに則って"イジる"。

美人は男遊びをしていると決め付けて"イジる"。

東大生は頭でっかちだと決め付けて"イジる"。

アメリカ人は陽気だと決め付けて"イジる"。

 

こうする事に依って、芸人にも観客にも「こうして、こう来ると面白い」という条件反射を植え付けるのだ。

パブロフの犬である。

 

つまり、日本の笑いとは、パブロフの犬なのだ。其れがつまり、ルーティンの正体だ。

 

一発ギャグが流行るのも、同じ事だ。繰り返し繰り返し同じ事を言い続けると、条件反射が形成され段々と面白く見えてくるのだ。一種の催眠効果である。

しかし、催眠効果は長くは続かない。催眠状態から醒めると、全く面白くないと気付くのだ。

一発屋の終焉である。

 

しかし、此の原理を知らなければ、或いは知っていたとしても、喉元過ぎれば熱さを忘れる、である。

一発屋は、また生まれる。

 

話を一発屋から離そう。

 

イジるとは、「弄る」である。

此の漢字は、もてあそぶ(弄ぶ)にも使う。

つまり、イジるとはもてあそぶでもある。

 

此れは私の勝手な推測だが、元々イジるとは、自分の優秀さや優位性を誇示する為のコミュニケーションスキルだったのではないか。相手を貶める為に、"笑い"という形態に弄りを紛れ込ませる。そうして、相手を弄ぶのだ。

如何にも"日本人的発想"ではないか。

 

しかし此の笑いは、そろそろ終わりを迎えるだろう。

何故なら、性差別や容姿差別等の観点から違和感や不快感を覚え、異を表明する人が増えてきたからだ。

国外の目も在る。

当のお笑い界は鈍感に没している様だが……。

 

笑いとは不定型を象徴するものだ。

型に嵌まらず、嵌めずに、喜怒哀楽をユーモアを以て表明する事が笑いの本質だ。

其処に、本当の快感が芽生えるのではないのか。

 

故に、笑いにルーティンは不要なのだ。