嗤うSchizophrenia

いつか君の感情を揺さぶる事が出来たならば

フィクションに於けるカタストロフィが重要な理由についての考察。

さてさて、シン・ゴジラの話題も落着した頃でしょうか。

 

 

 

古今東西、カタストロフィ(世界の終末、絶対破壊)を描いた物語は数多あります。古くは神話や民話、伝承。現代では、映像で描かれる事もあります。テーマや形態は様々ですが、殺戮と破滅で蹂躙される事は共通でしょう。

 

不思議だと思いませんか?人間、死や破滅は受け入れ難いものです。他者の其れを見聞きしても、深い苦痛と懊悩を感じる筈です。それなのに何故、フィクションとは言え、死や破滅が猛威を振るう世界が描かれ続けるのでしょうか。

人間は、其処に何を求めているのか、少し考察してみます。

 

 

結論から言ってしまうと、人は皆、破壊願望や破滅願望を内包しているからではないだろうか。

そして、フィクション内のカタストロフィを観る事に依って、自己の破壊願望、破滅願望を投影し、そうする事で自己が内包する其れらを認識し、其れと対比させる事に依って生を確認し、自己の存在を充足させ、此の世界に介在する事を落着させるのではなかろうか。

それが、人間がフィクションのカタストロフィにカタルシスを感じる所以ではないか。

 

フィクション内のカタストロフィの重要性や、人間への影響力について、深甚な考察、検証をしていきたい。